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| 万民ニュース   第 159 号 | HIT 4119 | DATE 2016-01-24
 
「イエス・キリスト」に込められた意味






私たちの罪を贖うためにこの地上に来られたイエス様、十字架の愛で死の力を打ち破ってよみがえられた主。「イエス・キリスト」に込められた意味を知って、さらに力あって張りのある信仰生活を送られるように。


「イエス」と「キリスト」の違い

<マタイ1:21>に「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』」とある。つまり「イエス」は「ご自分の民をその罪から救ってくださる者」という未来形である。一方「キリスト」は「メシヤ」というヘブライ語をギリシヤ語に翻訳したもので「救い主」という意味であり「救ってくださった」という完了形である。

実は「イエス」が名前ならば「キリスト」は肩書のようなもので、ある資格を備えた時に与えられる公式の呼び名だ。たとえば、ある学生が立派な医師を夢見ているからといって医師だと呼びはしない。熱心に勉強して、試験に通って決まったコースを踏んだ後でこそ、医師という資格を得ることになる。

同じように、イエス様もキリストという呼び名を得るまでに特別な過程を経られた。お生まれから30年間の準備期間を経て、三年の公生涯、そして十字架の苦しみと死を体験された後、三日目によみがえられたことによって、はじめてキリストになられた。イエス様は救い主の使命を果たしてよみがえられたその瞬間から「イエス・キリスト」という名前を得られたのだ。

このように「イエス」と「キリスト」という二つの名前の間には「救う者」と「救った者」という明らかな違いがある。したがって、復活前は「イエス」という呼び名を使うのが正しいが、復活後は「イエス・キリスト」あるいは「主イエス」「主」という呼び名を使わなければならない。聖書を読んでも、復活、昇天以後は「イエス」という呼び名に「主」や「キリスト」を付け加えている。


「イエス・キリスト」の御名によって祈るべき理由

聖書はイエス様が唯一の救い主だということを教えている。<ヨハネ14:6>に「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」とあり、<使徒4:12>には「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。』」とある。

最初の人アダムが罪を犯したことによってすべての人類は「罪から来る報酬は死」(ローマ6:23)というみことばどおり、永遠に地獄に行くしかなかった。神との間を隔てていた罪の問題が解決されてこそ、救われて天国に行けるので、これを解決するためにイエス様がこの地上に来られて、十字架につけられて血を注ぎ出して死なれた。イエス・キリストの尊い血で私たちの罪を贖われ、救いの道を開いてくださったのだ。

では、イエス様が救い主になられたのはいつだろうか? 十字架につけられて死なれた後、死の力を打ち破って三日目によみがえられたとき、はじめて救い主になられた。それで、イエス様という呼び名は十字架を負われる前の名前なので、よみがえられた後は、救い主という意味が込められたキリストを付け加えて「イエス・キリスト」と言わなければならない。

このような意味を知っていた弟子たちと使徒たちは、イエス様がよみがえられた後、祈ったりみことばを宣べ伝えるとき、「主」や「キリスト」を付け加えた。使徒パウロの場合は「イエス・キリスト」で終わらず、さらに強調して「私たちの主イエス・キリスト」という表現を好んで使った。したがって「イエス」と「イエス・キリスト」という名前に込められた意味を正確に知ってこそ正しく祈れるのだ。

また「イエス様」の御名によって祈るのと「イエス・キリスト」の御名によって祈るのとでは、その権威と力に途方もない違いがある。私たちの目に見えないが、霊の世界では神に属する人々と敵である悪魔・サタンの間に激しい戦いが繰り広げられている。敵である悪魔・サタンは何としてでも信仰の人々が罪を犯すように惑わして、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っている(第一ペテロ5:8)。このような霊的戦争で勝利するには「イエス・キリスト」の御名によって、権威と力がある祈りをしなければならない。

「イエス」という御名は救いの摂理を完成する前の呼び名だが「イエス・キリスト」という呼び名には私たちを贖われた血の意味と死の力を打ち破ってよみがえられた救い主としての意味が込められている。だから、イエス・キリストの御名によって祈るとき、敵である悪魔・サタンは恐ろしくて震えるしかなく、人の力で不可能なことでも、神の力ではいくらでも答えられることができる。

今日、このような霊的な意味を悟れずに「イエス様」の御名によって祈る人が多い。したがって「イエス」と「イエス・キリスト」の違いと救いの摂理を正確に悟って「イエス・キリスト」の御名によって祈ることで力ある信仰生活を送られるように。


ちょっとした情報_カレンダーに隠された奥義

全世界で広く使われているカレンダーには、驚くべき奥義が隠されている。暦が制定されたとき、イエス様がお生まれになった年を元年にして、A.D.とB.C.に区分したからだ。A.D.はAnno Dominiの略語であり「私たちの主の年代」(Year of Our Lord)というラテン語から来ていて「紀元後」という意味だ。B.C.はBefore Christの略語であり「キリスト以前」すなわち「紀元前」という意味である。

国家と民族、宗教と文化を越えて、イエス様のご聖誕を基準に人類の歴史を表記するということは、イエス様が歴史の中心におられることを表わしている。創造主なる神の御子であり、王の王としてこの地上に来られたイエス様は、十字架の愛によってすべての人生の問題を解決してくださっただけでなく、救いと永遠のいのちという祝福を下さったのだ。


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