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講解メッセージ メッセージ > 講解メッセージ
講解メッセージ
Title
   創世記講解(36) - 第四日(1)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   創 1:14-19
Date
   2010-06-04


[本文]

[創世記1:14-19]
「ついで神は、『光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。天の大空で光る物となり、地上を照らせ。』と仰せられた。するとそのようになった。それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神は見て、それをよしとされた。こうして夕があり、朝があった。第四日。」

愛する聖徒の皆さん、「創世記講解」三十六回目の時間です。きょうからは、創造の第四日のみわざについて伝えます。
神は、創造の第四日に、太陽と月と星を創造されました。これを、天文学の用語で表現するなら、創造の第四日に「私たちの銀河」を造られました。神は地球を除いた私たちの銀河のあらゆる天体をこの創造の第四日に創造されました。地球は六日創造を始める前にすでに造っておかれた、と言いました。
それなら、私たちの銀河の他に、数多くの銀河はいつ創造されたでしょうか? 宇宙がビックバンによってできたのではなく、神が創造されたことがわかる、何かの証拠があるでしょうか? 証拠があるならば、それは何でしょうか? また、地球で生物が生きるためには、大きいほうの光る物である太陽の光で充分なのに、どうしてあえて小さいほうの光る物である月も造られたでしょうか? 太陽と月と星が創造されてから、地球には、その前とは違ってどんな変化があったでしょうか? これらのすべての疑問についての答えを探して、きょうからは私と一緒にあの広い宇宙へと旅をしてみましょう。
まず、宇宙がどれほど広大なのかが感じられる一枚の写真をご覧ください。この写真は、探査船ボイジャー1号が1990年6月、冥王星付近から地球を撮影して送ってきたものです。皆さんはあの写真の中で地球が見つけられるでしょうか? この写真の別称は「青白い点」と言います。広大な宇宙空間で、地球は弱い光を放つ小さい点にすぎないことがわかります。これは地球から約64億キロ離れた太陽系の端からながめた地球です。太陽系は全宇宙空間で地球が属している「小さい点」であるだけです。やっとその小さい点の端から地球を見ただけなのに、地球があのように小さく見えるのです。
それなら、太陽系の向こう側には何があるでしょうか? 銀河系があります。地球が属している私たちの銀河は、直径が光の速度で約10万年を行かなければならない距離、すなわち、10万光年だそうです。このような銀河が数十個集まったものを銀河群と言って、数百ないし数千個集まれば銀河団と言います。また、この銀河団がいくつか集まったものを超銀河団と言います。これが天文学者の分類した宇宙空間です。
このように言葉で説明はできるけれど、皆さんはその広さが想像できるでしょうか? 私たちの銀河だけでも、こちらの端からあちらの端に行くなら、光の速度で約10万年を行かなければならない距離と言われているのに、実はこれもよく想像できないのです。まして、銀河群の広さ、銀河団の広さを想像するのはもっと難しいです。
今、お話しした宇宙空間は肉の世界、すなわち、第一の天の一部だけの話です。このように広大な第一の天の他に、また別の天があります。霊の世界に属する第二の天、第三の天、第四の天もあります。神は、これらすべての天を統治しておられます。
もともとはこの天と天は一つでした。これを「初めの宇宙」と言うと説明しました。初めの神は声を帯びた光の姿で初めの宇宙に存在しておられました。そのうちある時点になると、初めの神は人間耕作のために霊の世界の頂点に凝集されました。これによって、霊の光の強度と密度がそれぞれ違う、四つの宇宙ができました。霊の光の強度と密度は霊の世界の頂点に近づくほど高いし、頂点から遠くなるほど低いです。
もともと一つだった初めの宇宙が計四つになりました。神はこの四つの宇宙をそれぞれ、第一の天、第二の天、第三の天、第四の天と名づけられました。このうち第一の天がまさに私たちが住んでいる肉の空間である宇宙です。
先に、この第一の天の広さが人には想像しがたいほど非常に広いことをお話ししました。ところが、聖徒の皆さん、このように広大な第一の天、すなわち、肉の世界も、霊の世界に比べるなら、非常に小さいのです。
肉の世界と霊の世界の大きさをはっきり感じられるように、一つたとえてみましょう。アリに韓国のチェジュド(済州島)くらいの地を与えたとしましょう。アリはその地がどれほど広いのかわからないでしょう。アリが考えることができるなら、ただ行っても、行っても果てがないくらいに広く感じられるでしょう。ところが、チェジュドは地球全体の面積では極めて一部にすぎません。ですから、もしアリに地球全体の面積の話をしても、アリはその大きさが想像できないはずです。
ここで「アリ」とは、私たち人をたとえたものです。また、チェジュドは肉の世界である第一の天のことです。地球でチェジュドほどの大きさだけが肉の世界であり、残りは全部霊の世界だと言えます。
したがって、霊の世界がどれほど広大なのかがわかるでしょう。もちろん、肉の世界と霊の世界の比率が正確にチェジュドと地球の比率なのではありません。それほど大きさが違うということをわかりやすくたとえたのです。
霊の世界に比べれば非常に小さい、肉の世界のある地点に、神は人間耕作のためにまず地球を創造されました。そして、創造の第四日になると、太陽と太陽系の他の惑星と衛星を造られました。また、私たちの銀河系の星を造られました。
それでは、私たちの銀河系の外にある数多くの星々、すなわち、他のあらゆる天体はいつ造られたのでしょうか? 正解は、創造のみわざが始まる前に造られたということです。
初めの宇宙が四つの天に分かれる前から、初めの宇宙には数多くの星がありました。空っぽの広い空間に、初めの神、すなわち、声を帯びた光だけがあったのではありません。初めの神は、創造のみわざが始まる前にすでに数多くの星を造って、初めの宇宙空間に置かれました。このような状態の初めの宇宙が四つの天に分かれたのです。
この時、第一の天になった空間にあった星が、まさに私たちの銀河の外にあるあらゆる星です。したがって、第二の天、第三の天、第四の天にも、すでに数多くの星が存在していました。このように、第一の天が形成された時にも、数え切れない星が存在していましたが、神は、このような第一の天のある地点に、地球と太陽と月と星を創造されたのです。科学者たちの主張のように、ビックバンによって宇宙が形成されたのではありません。
科学者たちがビックバンを主張するには、それなりに根拠があります。科学技術が発達したら、宇宙空間が停滞しているのではなく、膨張し続けていることがわかるようになりました。地球から他の銀河を観察してみると、他の銀河が地球から離れ続けていました。
科学者たちはこの事実を根拠にして理論を作りました。「現在の宇宙が膨張しているので、過去にも膨張してきただろう。時間を遡っていくなら、宇宙は現在よりはるかに小さかっただろう。そして、最終的な過去のある時点で、宇宙はついに小さい点のようになるほど小さかっただろう。その点のように小さかった宇宙で、あるきっかけによってビッグバンが起きて、それから膨張し続けて、今日の宇宙になった。」これが、あの有名なビッグバン理論です。このビッグバン理論が確立されてきた数十年間、この分野で何人かのノーベル賞受賞者が出たこともあるそうです。
このような事実だけを見ると、ビッグバン理論は非常に根拠が確かで、固く立てられた理論のように見えます。しかし、ビッグバン理論はいまだに不完全な状態です。この理論が初めて発表された後、修正され続けてきたし、今後も観測結果によっていくらでも修正されることもあります。
また、いくら科学技術が発達するとしても、決して人が説明できない分野があります。それは、ビッグバン理論がビックバンの最初の瞬間が説明できないということです。ビッグバン理論は、最初のビックバンからではなく、ビックバンがあってある程度過ぎた時から説明が始まる理論なのです。言いかえれば、ビックバンの余波については、数学と物理学を総動員すればそれなりに理論的な説明ができます。ところが、ビッグバン理論が本当に正しいならば、その余波でなく、ビックバンの瞬間が説明できなければなりません。
しかし、今までどんな学者も、まさにビックバンの瞬間については説明できなかったのです。この分野は、これから科学技術が発達するとしても説明できない分野であることを、科学者たちも認めているのです。肉の知識では、そこまでしか説明できないからです。このように、肉の理論では神の創造のみわざを決して説明することはできません。
それなら、一つ疑問が起こるかもしれません。科学的な観察記録によると、宇宙が膨張しているということは事実ですが、それはなぜそうだろうかということです。神はどうして第一の天の宇宙を停滞した空間ではない、膨張する空間に創造されたのでしょうか? それは、この肉の空間が膨張することによって、浄化作用が起きるようにされるためです。
地球の3分の2を占めている海も、地球という大きい器に溜まった水だと言えます。それで、長い時間が流れれば腐敗することもあるのに、海水が腐敗しない理由は何でしょうか? まずは、海水に入っている塩分のためです。もう一つ重要な理由は、満ち潮と引き潮によって、海水がいつも動いているので、腐敗しないでいるのです。
このように、第一の天も停滞していたらいけないし、継続的な動きがなければなりません。風がよく通らない空間に長くいれば、空気が汚れていくのが感じられるでしょう? すべての天を統治する神がご覧になると、第一の天は比較的狭い空間です。それで、空間が膨張し続けるようにされて、自ら浄化されるようになさったのです。
ところで、人間耕作が終わったら、この第一の天は閉じられるようになります。これについて、[黙示録21:1]に「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」とあります。ここで「以前の天」と「以前の地」とは、私たちが住んでいる第一の天の空間のことです。
人間耕作が終わって、大審判まで終われば、第一の天はそれ以上必要がありません。ところが、第一の天、すなわち、肉の空間も、初めの宇宙から分れた空間なので、完全に消滅はしないのです。神が第一の天に通じる門を閉じておかれるだけです。
愛する聖徒の皆さん、きょうの本文を見ると、「天の大空」という表現が何度もあります。「天の大空」に光る物、すなわち、太陽と月があるようにされて、また、神が星を造られ、それらを「天の大空」に置かれた、とあります。ただ「天」や「大空」と言わないで、なぜあえて「天の大空」と言われたのでしょうか? 太陽と月と星が、地球から近いところではなく、遠くにあることを表してくださるためです。
今日は科学が発達して、太陽と月と星がどれほど遠く離れているかがわかります。しかし、昔の人々は太陽と月と星がどれほど遠くにあるのか、太陽と月の大きさはどれほど違うか、わからなかったのです。したがって、ただ天や大空とだけ言うと、太陽と月と星が、何だか近い空の上に浮いているように思うこともあります。それで、神は「天の大空」にあったと表現することによって、近い空でない、ちょっと違う空間にあることを表してくださったのです。ここで「天の大空」とは、地球の大気圏を抜け出した、その向こう側の宇宙空間を表しているのです。神は、このように聖書に、単語一つでも正確な意味を入れて記してくださいました。
もう一つ、注目してみる単語があります。太陽と月の大きさについての表現です。太陽を「大きいほうの光る物」、月を「小さいほうの光る物」と表現されました。
地球から太陽と月を見れば、二つの大きさがほとんど同じように見えます。明るい満月が上る時は、月が太陽より大きく見えることもあります。それで、まだ知識のない子どもに「太陽と月のうちどっちが大きい?」と聞くなら、その子どもはたぶん目に見えるとおりに答えるでしょう。
これは、科学技術が発達していなかった昔の人々も同じです。もし、太陽と月の明るさが違うことを表そうとしたなら、太陽は「明るい光る物」、月は「少し明るい光る物」と表現することもできるでしょう。ところが、神は太陽を「大きいほうの光る物」、月は「小さいほうの光る物」と表現してくださいました。太陽と月が明るさだけでなく、大きさも違うことを、すべての時代の人々がわかるように正確に表現してくださったのです。
それでは、太陽は月よりどのくらい大きいでしょうか? 体積を計算してみると、太陽は地球の約130万倍であり、月は地球の約50分の1だそうです。したがって、太陽は月の約6500万倍の大きさです。太陽と月の大きさは、このように違いますが、太陽より月のほうが地球にはるかに近いので、二つの大きさが同じように見えるのです。
本文[14節の前半節]に「ついで神は、『光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。」とあります。この創造の第四日に、太陽と月を造られたことによって、昼と夜とを区別されたという意味です。
ところが、神は、すでに創造の第一日に、光と闇とを区別されて、光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられました。したがって、すでに創造の第一日から、昼と夜が区別されていたのです。それなのに、創造の第四日に、太陽と月を造られた後、「昼と夜とを区別せよ。」ともう一度仰せられた理由は何でしょうか?
創造の第一日に「光よ。あれ。」と仰せられたとき、神の初めの光が地球を取り巻きました。このように光が地球を取り巻いていた昼の間、神は創造のみわざを施されました。それから、昼の長さほどの光を取り込まれ、その時間は闇の勢力に渡されたのです。創造の第一日から第三日までは、このように神が初めの光で地球を取り巻く時間が昼であり、取り込まれる時間が夜でした。したがって、その三日間は、地球が自転しないでじっとしていても、昼と夜が変わっていました。
ところが、創造の第四日に、太陽と月、星を造られてからは、地球が自転と公転をし始めました。地球が自転をして、太陽に向かう側は昼になって、太陽の反対側は夜になりました。地球の昼と夜が、それからは自動的に変わるようになったのです。その前までは、昼と夜が変わるのを神がつかさどられたとしたら、その時からは、太陽と月と星がつかさどるようにされたのです。
これをたとえで説明してみましょう。ある人にロボットが一体ありますが、このロボットは自分では動けません。人がロボットの腕を持ち上げてはじめて腕が上がって、足をいちいち動かしてやっと動けます。ロボットの主人が願うままにロボットを動かして、やっとロボットが動けるのです。そうしているうちに、このロボットにねじを取りつけて、ねじを巻くとロボットが自分で動くようにしました。それからは、人が手を貸さなくても、設計どおりにロボットが自分で動くようになったのです。
地球も同じです。創造の第三日までは、神の力に支えられて宇宙空間に浮いていられたし、夜と昼も、神によって変わりました。ところが、第四日、太陽と月と星が創造されると、神が定められた法則によって自動的に動き始めたのです。
もう一つたとえるなら、時計には時針と分針と秒針があります。時計に電池がなくても、皆さんが秒針を1秒にひと刻みずつ動かすなら、分針と時針も一緒に動きます。こうしても時計は動きます。ところが、時計に電池を入れれば、時計の針が自動的に動いて、時を表してくれます。創造の第一日から第三日までは、神が直接時計の針を動かされたとすれば、創造の第四日からは、時計の針が自動的に動くようになったのです。
時計を分解してみれば、大小の歯車が互いに噛み合って動きながら、針を動かして正確な時を表してくれるのがわかります。このように、神は地球と太陽と月と星が調和して、自動的に動けるように設計されました。それぞれの大きさと互いの距離、そして、押して引く力の強さなど、これらのすべてを考慮して創造されました。太陽と月の大きさが今より少しでも大きかったり小さかったりしても、地球では生命体が生きられません。互いの距離が今よりもう少しでも遠かったり近かったりしても同じです。
ビックバンの余波で太陽と月と星が偶然にその大きさになって、その位置にあるようになった、ということが、むしろもっととんでもないことのように思えるのです。高度な知恵と知識を持った創造主が初めからそのように設計して造られた、としか説明できない証拠がたくさんあります。太陽と月と星に含まれている神の創造の証拠は、次の時間に伝えます。そして、神が太陽と月と星に下さったそれぞれの使命についても、次の時間にお伝えします。
愛する聖徒の皆さん、きょうは創造の第四日のみわざの一部を説明しました。私たちが生きている地球は、第一の天である肉の宇宙空間の中で、あまりにも小さい惑星にすぎないと言いました。砂浜にある数え切れない砂の中の一粒に比べられるかどうか、というほどです。第一の天の中だけでもこうなのに、霊の世界全体に比べるなら、その存在を論じることもできないでしょう。神が創造されたこの世界の広大さを知ったなら、心から神を恐れて高めるようになります。
[詩篇8:3-4]で詩篇の記者は「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」と告白しました。
私たちの父なる神は、広大な宇宙で、ちりのような地球に生きている人の子らをいつも思われて、さまざまな方法で愛の勧めをしておられます。その広大な宇宙の数え切れない天体の中で、唯一、地球を注目しておられるのです。
なぜでしょうか? まさに父なる神のまことの子どもたちがこの地球から出ているからです。人間耕作を通して父なる神の心を深く理解して、心から神を恐れるまことの子どもたち、神と真実の愛を分かち合って、永遠にともに生きていくまことの子どもたちが、まさにこの地から出ているのです。
神が繰り広げられた創造のみわざを通して、神の深い愛を心の奥底から感じる聖徒の皆さんになられますように。それで、心から神を愛し愛されますよう、主の御名によって祝福して祈ります。

 
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