new commer 初めてお越しの方の登録 | ホームページ管理人に
hide
ManminCentralChurch

黙示録講解 | 信仰を測ると | 創世記講解

 
banner
on air
Sermon
Official Service
 
メッセージ(date)
主日礼拝
主日夕方礼拝
金曜徹夜礼拝
メッセージ(date)
主日礼拝
主日夕方礼拝
金曜徹夜礼拝
Lecture
ヨハネの手紙第一
黙示録講解
創世記講解
Theme Sermons
十字架のことば
信仰の量り
十戒
愛の章
天国
地獄
Columns
cell bible
隠れたマナ
2019年
六日間のマナ・上
六日間のマナ・下
神の良きみこころ
信仰の量り
愛の章
御霊の実
神の七つの御霊
祝福の秘訣
クリスチャンの基本
わたしはそれをしましょう
義人は信仰によって生きる
八つの幸い
2010年
2009年
2008年
column
counselor
mis_cross_jp
MIS_Spirit
MIS_HolySpirit
MIS_HolySpirit
 
メッセージ メッセージ > メッセージ
メッセージ
Title
   父のうるわしさが宿っている聖殿 - 新年祈祷課題 3  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   イザ 60:4
Date
   2011-01-02


[本文]

[イザヤ60:4]
「目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。」


[序論]

愛する聖徒の皆さん、この時間は2011年新年祈祷課題、第三について伝えます。第三の祈祷課題は「父のうるわしさが宿っている聖殿」です。これは直接的には、カナン聖殿のことです。皆さんがすでに知っているように、カナン聖殿は大聖殿の小聖殿のような概念で、大聖殿建築の出発点になります。結局、第三の祈祷課題をもって祈る時は、カナン聖殿だけでなく大聖殿建築まで、慕う心で父の御前に祈りの香をささげなければなりません。
 今までは聖殿を移転するとき、私たちの手で建てたのではなく、すでにできている建物を活用しなければなりませんでした。しかし、カナン聖殿は私たちが直接設計して建築する聖殿なので、外形も神が望まれるとおり、美しい建築物を建てることができます。建物の構造と形も、材料と色も、霊的な意味を込めて建てることができるのです。
ところが、「父のうるわしさが宿っている」とは、単純にこういう外形について言っているのではありません。内面がもっと重要です。この聖殿を建て上げる聖徒の心に、父のうるわしさが宿っていなければならないのです。父にまことに喜ばれる聖徒が心と思いと力を尽くして建て上げる時でこそ、この建物を通して神の栄光と誉れが現れるのです。
神はこれまで聖殿についての祈祷課題を下さるたびに、聖徒の皆さんが聖殿建築にふさわしい心にならなければならない、といつも強調されました。この時間は、カナン聖殿を建て上げるために、私たちがどんな資格を備えて、どんな祈りをささげるべきなのか、もう一度考えていきましょう。


[本論]

愛する聖徒の皆さん、父のうるわしさが宿っている聖殿を建て上げるためには、第一に、心を清くしなければなりません。
[第一コリント3:16]に「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」とあります。このみことばどおり、神の神殿とは、霊的に私たちの心を意味します。旧約時代にイスラエルにあった聖殿は、イスラエルの民が神の御前ではなはだ罪を犯したので、結局、破壊されてしましました。
この終わりの時、神が建てられる聖殿は単に目に見える聖殿の建物ではありません。神をまことに恐れる子どもたちが、心と思いと力を尽くして建てた聖殿です。この聖殿を通して、終わりの時、全世界に神の栄光を現すことを願っておられます。それで、神は本教会を建てられ、聖潔の福音とともに大聖殿建築の使命を与えられました。神を恐れて、心を清くした神の子どもたちを用いて、この聖殿を建築しようと思われたのです。
開拓以後、聖徒の皆さんは絶えず大聖殿のために祈りながら、いつも心の割礼をするために努力してきました。ところで、このような過程でも、特に去る2010年は、皆さんにとっていつまでも覚えられるような一年でした。これまで聖潔のみことばを無数に聞いて祈って忠実に仕えてきたと言いながらも、相変わらず罪と悪の中にとどまっていた多くの方が決断して、罪の道から立ち返る恵みの時間でした。明白な肉の行ないはもちろん、過去の罪と咎までも、神の御前に徹底的に言い表して、自分の罪の根の根まで顧みる機会でした。この流れは皆さんの聖潔はもちろん、聖殿建築と非常に密接な関係があります。
神は聖殿を建て上げるために、すでにこういう過程を経ることを知っておられ、2010年の年初に、皆さんにも祈祷課題を通してある程度暗示してくださいました。どういう内容でしょうか? 2010年度、第三の祈祷課題は「父の喜ばれる聖殿」で、聖殿に関する内容でした。その時、本文は[マタイ21:12-13]でした。「それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」まさに、イエス様が汚れた聖殿を浄化される場面です。
毎年、神は聖殿についての祈祷課題を下さり、そのたびに、聖殿を建て上げるためには聖徒が聖められなければならないと数えきれないほど言ってくださいました。ところが、いつもとは違って、このように強いみことばを聖殿のための祈祷課題として下さったとき、霊的なセンスがある方なら「何か意味があるだろう」と感じたでしょう。その当時は感じられなかったけれど、今お聞きになって「ああ、そうだったんだ」と悟る方もいるでしょう。
神は実際にこのみことばのような聖殿浄化作業を2010年、後半期になって大々的になさいました。本当に醜くて汚いすべての罪と悪を霊的な聖殿である皆さんのからだと心から追い出されたのです。この聖潔の作業を通して、目に見えるカナン聖殿を建て上げられるように、基盤を作っていかれたのです。
しかし、これで全部終わったのではありません。皆さんが過ぎ去った日の罪と咎を言い表して、罪の隔ての壁を打ち壊したとしても、それよりさらに重要なのは、悔い改めの実を結ぶことです。再び罪を犯さないことは当然で、火のような祈りをささげ、罪の根の根まで引き抜かなければなりません。光の実、御霊の実、善と愛の実を結ばなければならないのです。このように、心が清められてこそはじめて、聖殿建築にふさわしい資格を備えたと言えるのです。
過ぎた時間を通して徹底的に悔い改めた方々なら、もう聖潔がそんなに遠く感じられないでしょう。多くの方が「私もできる、私も間もなく御霊の歩みに入るだろう」と言って、自信と確信が臨んだと告白しました。
神が聖められる恵みを大いに与えて、私たちを強くしてくださっておられます。新年は聖められた御霊の人の数が、世界宣教を行なって、大聖殿を建て上げるのに乏しいことないように、豊かに満たされますように。まさに皆さんそれぞれがその数の中に入ろうと決断して、熱く慕うようお願いします。

愛する聖徒の皆さん、父のうるわしさが宿っている聖殿を建て上げるために、第二は、一つにならなければなりません。まずは父と主と一つになり、また、牧者と一つにならなければなりません。働き人と聖徒も、互いに一つにならなければなりません。
まず皆さんが父と主と一つになるためには、第一の項目で語ったように、皆さんが聖められて、みことばの中にとどまればよいのです。次に牧者と一つになるとは、信じて聞き従って、聖霊の働きの中で実を結ぶことです。いくら「牧者を信頼している。100パーセント聞き従おう」と告白する人でも、聖霊に働きかけられなければ、まことの従順ができないのです。自分なりに従うといっても、結局、肉の思いの中でとんでもない実を結ぶからです。聖霊に明らかに働きかけられるためにも、結局、心の悪を捨てなければならないのです。次に働き人と聖徒の間が、愛と仕えで、へりくだった心で、互いに一つにならなければなりません。特に皆さんが心に刻んで覚えておくべきことは、互いに一つにならなければならないという、このメッセージです。
皆さんが神の働きをするとき、心の聖潔が大切なことはよく知っています。ところが、互いに一つになることについては、その重要性があまり認識できない場合があります。聖殿を建て上げることにおいて、一つのからだである各部分が一つになることは、あまりにも基本的で必須の条件です。
[エペソ2:20-22]に「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」とあります。
多くのレンガを並べるばかりで、聖殿が建てられるのではありません。レンガがしっかりと積み上げられて建物になり、それぞれ建物が調和をなしてこそ、一つの聖殿が美しく建てられます。
このように一つになるためには、皆さんが互いに尊重して、自分より他の人が優れていると思わなければなりません。自分の利益を求めるのではなく、自分自身のように兄弟を愛して、心から仕えなければなりません。
去年、悔い改めの流れの中で、神が働き人と聖徒たちにそれぞれ特別に頼まれたことがあります。働き人たちには組織を整備するようにと言われ、聖徒たちには初代教会のような愛を持つようにと言われました。
実際、組織を整備するということも、結局は「一つにならなければならない」ということです。まことに神を愛する働き人ならば、相手のせいにしたり、自分の功を認められようとしないでしょう。たとえ自分が熱心に働いた功がほかの人に行っても、父の働きなので、変わらず気を遣って顧みられること、これが父が働き人たちに望まれる心です。
仕事上でミスや失敗が出ても、この部署の責任なのか、あの部署の責任なのか、リーダーの責任なのか、あるいは実務を担当した人の責任なのか、そんなことは重要な問題ではありません。本当に自分の実の兄弟のように、あるいは自分の子どものように、父の大きい働きを実現するために、他の部署や働き人の業務にも気を遣っているのか、また、自分が関連しているところで何か問題が生じたなら、たとえ直接の担当者ではなくても、自分の過ちのように思って悲しむことができるのか、皆さんの心を顧みるようお願いします。
まことにこういう心になれば、まるで手と足とすべての部分が一つの心になって動いているように、すべての働き人が一つになれます。神の栄光という一つの目標に向かい、教会の力量が最高に発揮されるのです。
また、初代教会のような愛を持つよう頼まれる時は、保険業をしている聖徒たちを例に挙げられましたが、これはその方々にだけ当たるおことばではありません。すべての聖徒の皆さんに当たるおことばです。
愛する家族がうまくいけば喜ぶように、主にあっての兄弟がうまくいくならもっと喜んで、兄弟が困難にあえば、自分のことのように気を遣って顧みなければなりません。本当に相手を愛するなら、自分の利益のために相手に損害を与えないはずでしょう。また、誰がもっと苦労して、誰がそんなに苦労しなかったのか、誰がよくやってだれができなかったのか、こういうことを問い詰めて、愛する人をつらくさせないでしょう。
[マタイ25:40後半節]に「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」とあることを覚えておきますように。主にあっての兄弟姉妹と一つになり、愛で仕え合い犠牲になる皆さんになるようお願いします。

愛する聖徒の皆さん、父のうるわしさが宿っている聖殿を建て上げるために、第三は、信仰と愛の祈りを積まなければなりません。
カナン聖殿建築も大聖殿建築も、すでに神が私たちに約束された祝福であり、必ず成し遂げられる神の摂理です。しかし、これを実現するためには、公義にふさわしい代価を払わなければならないと言いました。
ダニエルの二十一日の祈りについて、皆さんはあまりにもよく知っています。神はダニエルが祈っていた初めの日から、すでに答えを与えられました。しかし、その答えがダニエルに臨むまでは、二十一日という時間がかかりました。それほど公義にふさわしい祈りの量が満たされたとき、答えという実を手に握ったのです。「わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れて、次のことをしよう。」と言われたように、最後まで信仰の祈りをささげなければならなかったのです。
カナン聖殿のための祝福も、神はすでに私たちに与えられました。ただし、世界情勢と国内情勢に合わせて、複合的な状況に応じて、一番良い時点に現すと言われました。数えきれない神の力あるわざを見てきた皆さんは「すでに与えられた」というおことばも信じるでしょう。これからも、どんなわずかな疑いや否定的な言葉でも、神に申し訳ないことはしないようにお願いします。
イスラエルの民がエリコを攻撃するとき、まことに人の思いでは納得しにくい命令が下されました。エリコの中では敵軍が万全の準備をしているのに、ヨシュアは民に毎日、町のまわりを回りなさいと言いました。
 これはあまりにも危険なことで、しかもそのようにして戦争に勝つとは想像しにくいのです。それでも民は黙って回りました。[ヨシュア記6:10]に「ヨシュアは民に命じて言った。『私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。』」とあります。
神の摂理がなされる瞬間まで、どんな信仰のない言葉も、疑いの言葉も、ふさわしくない真理に逆らう言葉も、口から出してはいけません。ただ善なる信仰の告白と主を呼び求める祈りだけを神の御前でささげなければならないのです。このすべての祈りの香が、皆さんにはたましいに幸いを得て、すべての点にも幸いを得る祝福になり、また、天国の報いとして積まれるでしょう。


[結論]

愛する聖徒の皆さん、父のうるわしさが宿っているカナン聖殿は、世の人々さえも慕うほどの聖殿です。その中に父の栄光と誉れがあり、いのちのみことばが宣べ伝えられる聖殿です。想像できない神の力があって、祝福の中心地になる聖殿です。この聖殿を建て上げる時は、目に見える建物だけでなく、言葉のとおりカナン時代、新しい栄光の時代が開かれるのです。
きょうの本文[イザヤ60:4]に「目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。」とあるように、国々の民がこの聖殿に向かって来るでしょう。そして、これを土台に究極的には大聖殿が建て上げられるのです。
開拓の当時、神が私たちに大聖殿の使命を与えられたとき、私たちは具体的に知っていることがなかったのです。大きいだろうとは思ったけれど、はたしてどれほど大きいのか、その大きい聖殿が建て上げられるだろうが、はたしてどんな方法でできるのか、また、国々の王たちが出てきて、国々の民が建てるとはいえ、どのようにそんなことがあるのか、知りませんでした。
しかし、知らなくても決して疑わなかったし、本当に父のみこころのとおりなるようにと絶えず祈ってきました。その信仰の祈りを受けられた神が、きょうまで私たちを一歩一歩導かれ、大聖殿を建てられる基盤を築いてこられました。
その大聖殿の始まりになるカナン聖殿建築が、もう目の前です。愛する聖徒の皆さんはもっと堅い信頼と愛で、聖殿を建て上げるにふさわしい心をすみやかに耕されますように。国々の民がこの教会に向かってくるとき、世界を十分にいだける働き人として、霊肉の条件を備えるようお願いします。
また、人間耕作の有終の美を飾る大聖殿建築の使命を全うするまで、絶えず火のような祈りをささげますように。それで、マンミンの名でこの尊い働きにあずかった皆さんに、大いなる祝福と天国の報いがありますよう、主の御名によって祝福して祈ります。

 
ManminCentralChurch
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
- tel 82-2-818-7000 - fax 82-2-851-3846
COPYRIGHT MANMIN CENTRAL CHURCH, ALL RIGHTS RESERVED