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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第20課「イエス・キリストを否定する者が異端」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-06-02


読むみことば: 第二ペテロ2:1
覚えるみことば: 第二ペテロ2:1
参考にするみことば: 第一ヨハネ2:22-23
教育目標: 自分たちを買い取ってくださった主を否定することが異端であることを知って、やたらにさばいて罪に定めたり惑わされたりしないようにする。


歳月が経つほど、とんでもない理論が世を混乱させ、人々はまことと偽りが見分けられなくて惑わされたりもします。また、自分が見て正しいと認めてきた理論や知識のため、間違ってさばいたり罪に定めたりする過ちを犯したりもします。主を信じると言う人々も、いろいろな誤謬を犯します。
その中の一つがまさに異端に関する認識です。多くの人が聖書を基準としないで、ささいな教理の違いのために異端だと罪に定めるのが見られます。今日のように異端思想が乱れ飛んでいる終わりの時には、聖書を根拠として異端に関する認識を正しく確立しなければなりません。異端の定義を正確に知ると、惑わされないで、自分の思いと違ってもやたらに異端だとさばいて罪に定めません。


1. 使徒パウロを異端の首領だと訴えたユダヤ人たち

よみがえられたイエス・キリストが天に上げられた後のことです。初代教会の当時、サウロという青年がいましたが、彼は優れた知識を持っていたユダヤ教の信者でした。父なる神だけを信じるユダヤ教の信者たちはイスラエルをローマの圧制から解放してくれるメシヤ、すなわち、救い主を切に待っていました。
ところが、イエスを救い主と信じる人々が多くなり、エルサレム教会がリバイバルするのを見ると、サウロはとうてい耐えられませんでした。イエスを神の御子だと伝えることは、創造主の神を冒涜する行為だと思ったからです。ステパノ執事がイエス・キリストの福音を伝えて殺された時も、サウロは当然だと思ったし、教会に通っている人々を引きずり出して牢に入れたりもしました。
そんなある日、彼の信仰に大転換点を迎える出来事が起こります。彼が大祭司の手紙を持ってイエスを信じる人々を引いて来ようとダマスコに行く途中で「なぜわたしを迫害するのか・・・・・・わたしは、あなたが迫害しているイエスである。(使徒9:4-5)」という主の御声を聞きました。この出来事があったあと、彼は悔い改めて主を受け入れました。
そのあとサウロは一変して、使徒パウロとして大きな神の力を行いながら、地の果てにまで福音を伝えるためにいのちを尽くしました。牢に入れられたことも多く、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでしたが、どんな状況でも喜んで感謝しました。主の血の代価で買い取ってくださった魂を救うために全力を尽くしました。
ところが、使徒の働き24章を読めば、使徒パウロは「異端の首領」と訴えられています。この時、総督の前に立ったパウロは「しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。」(使徒24:14-16)と自分の信仰を大胆に告白しました。
異端の辞書の意味は「正統から外れていること。また、その時代に多数から正統と認められているものに対して、例外的に少数に信じられている宗教・学説など。」です。このような意味から、ユダヤ教を信じる人々はイエス・キリストを伝えている使徒パウロを異端だと罪に定めたのです。


2. イエス・キリストを否定する者が異端

今日も、多数から正統と認められている教理から外れているようだからといって、異端だと罪に定めることが多いです。異端を見分ける時は、必ず聖書の基準に基づかなければなりません。
新約聖書に「異端」という単語が二回出てきますが、その定義は次の聖句で明らかです。[第二ペテロ2:1]に「しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現れるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。」とあります。ここで「自分たちを買い取ってくださった主」とは「イエス・キリスト」を意味しています。
本来人は神に属していて、神のみこころどおり生きていましたが、アダムの不従順以後、罪人になって、敵である悪魔に属する者になってしまいました。愛なる神は死の中にいる人々を憐れんで、ひとり子イエス様をこの地上に遣わされました。イエス様は罪人になった人類の代わりに十字架を負われ、その血の代価によって救いの道を開いてくださいました。罪によって敵である悪魔に属していた人が、イエス・キリストを受け入れることによって罪が赦されて、いのちを得、再び神に属するように摂理のうちに計画されたのです。
ですから、イエス・キリストが十字架の上で血の代価を払って私たちを買い取ってくださったのであり、イエス・キリストを「自分たちを買い取ってくださった主」と表現したのです。
このように、自分たちを買い取ってくださった主を否定することが異端です。したがって、イエス様が十字架につけられて死なれ、よみがえってキリストの働きを完成される前には「異端」という言葉が全く使われませんでした。イエス様がキリストの使命を完成される前までは「自分たちを買い取ってくださった主」という表現そのものが成立しないからです。旧約聖書やイエス様の公生涯を記した四福音書に「異端」という言葉が全く出てこないのも、このような理由からです。
当時、イエス様を迫害した律法学者やパリサイ人など、誰もイエス様を異端だと言いませんでした。イエス様がよみがえられてキリストの働きを完成された後に「自分たちを買い取ってくださった主」であるイエス・キリストを否定する人々、すなわち「異端」が登場したのです。
使徒パウロはイエス・キリストに出会った後、一度も「自分たちを買い取ってくださった主」を否定したことがありません。むしろ主の恵みに感謝して、行く所ではすべて福音を伝えて、ひどい苦しみとむごい迫害を受けても、ただ喜びをもって勝ち抜きました。殉教する日まで、イエス・キリストの御名によって数多くの人をいやし、死んだ人を生かすなど、大きな神の力を現して生ける神に栄光を帰しました。
したがって、イエス・キリストが「自分たちを買い取ってくださった主」だと信じれば、決して異端ではありません。イエス・キリストを否定して敵対する人々、すなわち「反キリスト」が異端であることを知って、決して惑わされることがあってはなりません。また、使徒パウロのように聖霊の力によって福音を広く伝えている人々を、やたらに異端だとさばいて罪に定めることもあってはなりません。


3. 異端の定義を正しく知って、さばいて罪に定めることがあってはならない

[第一ヨハネ2:22-23]に「偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。」とあります。イエスがキリストであることを否定する者と御父と御子を否認する者が偽り者であり、反キリストであり、異端だということです。
ある人たちは聖霊のみわざが活発に現れている教会を異端だと言ったり、反キリストだと罪に定めたりします。これは、自分たちの霊的な無知のゆえに神のみこころに逆らうことです。たとえば、声を出して祈るからといって異端だと言います。異言や幻、預言などの賜物が現れて、いやしのみわざやしるしが起きるから異端だと罪に定めます。この他にも、賛美するとき手をたたき、礼拝の時に特別賛美として舞踊をするから異端だと言います。
これらのことは聖書に基づいた異端とは全く関係がありません。イエス・キリストが人となって来られたことを認め、聖書が絶対的な神のことばであり、三位一体の神を信じる人を、やたらに異端だと言ったら、これは聖霊を罪に定めながら逆らうようなものです。
異端の定義を正しく知っている人は、簡単に相手を異端だとさばいて罪に定めません。初代教会の当時、使徒たちがしるしと不思議を大いに現すと、人々がイエス・キリストを信じました。これをねたんだユダヤ教の指導者たちは、使徒たちを牢に入れて殺そうとしました。この時、パリサイ人だった律法学者ガマリエルは自分の考えを主張しないで、すべてを神にゆだねました。神のみわざでなければ、あえて人が出て滅ぼさなくても、自滅してしまうしかないからです(使徒5:38-39)。
しかし、神のみわざなのに悪い心をもって反対して妨げるなら、相手を滅ぼすこともできないだけでなく、むしろ神に敵対するようになるので、さばきを自ら招くことです。神を恐れる信仰ある人なら、必ず聖書を根拠として異端を見分けなければなりません。


* まとめと適用

1. 異端の定義を書いてください。

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2. 次の説明の中で間違っているものを選んでください。
①「自分たちを買い取ってくださった主」とはイエス・キリストを意味する。
②イエス様が十字架で死なれて、キリストの働きを完成される前には、異端という言葉が使われなかった。
③ガマリエルは使徒パウロの弟子である。
④旧約聖書やイエス様の公生涯を記した四福音書には異端という言葉が全く出てこない。


* 今週の課題

今回、異端とはどんなものか学びました。それでは、具体的にどんな教えが異端でしょうか? 次回までに考えてきましょう。


* 「人物」を知って力にしましょう!

「ガマリエル」
彼はパリサイ人であり、偉大な律法学者としてすべての民に尊敬された。使徒パウロの師でもある(使徒22:3)。サンヘドリン議会が福音を伝える使徒たちを殺そうとするとき、サンヘドリン議会員だった彼は、このことが人から出たものならば、自滅してしまい、神から出たものならば、滅ぼすことはできなくて、もしかすれば、神に敵対する者になってしまうでしょうと使徒たちを弁証してくれた(使徒5:33-40)。

 
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