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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第2課「口で告白するとおりになる」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-01-17


読むみことば: ローマ10:10
覚えるみことば: ローマ10:10
参考にするみことば: 民数記13:31_33,14:7_9、ダニエル3:17_18
教育目標: 否定的な口の告白ではなく、信仰の肯定的な告白によって自分の限界を飛び越え、答えられて祝福される聖徒になるようにする。

神は「死と生は舌に支配される。」と言っておられます。ですから、信仰によって肯定的な告白をして、神のみわざを口で告白すれば、すべての問題が解決されて、神に栄光を帰すことができます。口の告白がどれほど大切なのか悟って、信仰の告白によっていつも勝利する生き方をするには、どうすべきでしょうか?


1. 肯定的な信仰の告白の重要性

何かの出来事にあったとき、神を信じる人であるほど、さらに肯定的でなければなりません。世の人であっても、肯定的な考え方を持てば、より簡単に突破口を発見して事をやり遂げていきます。
聖書を読めば、神も、肯定的な信仰の告白をしてみことばを信じて行う人に必ず働かれたことがわかります。モーセはエジプトから出たイスラエルの民がカナンの地に入る前に、まず十二人を偵察に送ります。ところで、彼らがカナンの地を偵察して戻ってからした告白には、天地ほどの差がありました。そのうちの十人はカナン人を恐れて、その地について悪く言いふらして、否定的な報告をした一方、ヨシュアとカレブは神の約束を信じたので、肯定的な報告をします。
<民数記14:7_9>に「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。もし、私たちが【主】の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。ただ、【主】にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし【主】が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」とあるとおりです。
このように彼らは一言一句肯定的な告白、信仰の告白をしたので、カナンの地に入れました。しかし、このふたりを除いた、エジプトから出た当時の二十歳以上のすべてのイスラエルの民は、カナンの地に入れず、荒野で死んでしまいました。
マタイの福音書8章を読むと、百人隊長が自分のしもべの中風をいやしてもらうために、イエス様のみもとに来ます。イエス様は百人隊長のけなげな心に感動して、その家に行ってしもべをいやそうとなさいました。この時、百人隊長は「ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。」と驚くべき信仰の告白をします。するとイエス様は「わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」と彼の信仰をほめられたのです。結局、百人隊長が告白したとおり、しもべの病気が完全にいやされました。
このように、主が信仰をほめてくだされば、すべての問題がすみやかに解決されます。とうていできそうもない難しいことも、神にはすべておできになるので、祈って断食し、みことばどおり聞き従いながら信仰によって告白すれば、できないことがありません。
<マルコ7:24以下>では、スロ・フェニキヤの女が汚れた霊につかれた娘から悪霊を追い出してくださるように、イエス様に願い続けます。ところが、イエス様は「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われます。普通の人なら、願いを聞いてくれなくてさびしい、さげすまれたと思って、行ってしまったでしょうが、むしろ「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」と言いながら、変わらなくへりくだった姿で恵みを求めます。
女は信仰によって出てきたので、どんなおことばにも傷つかないで、移り変わりませんでした。女の善と信仰をご覧になったイエス様は、直ちに娘をいやしてくださいます。このように、何か難しい事にあっても、へりくだった姿で神の御前に求めるとき、必ず答えられます。
ダニエル3章で、ネブカデネザル王が金の像を拝まなければ、火の燃える炉に投げ込まれると脅かすと、ダニエルの三人の友だちは大胆に告白します。「私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」(ダニエル3:17_18)。彼らは結局、炉に投げ込まれましたが、神に守られて、その頭の毛も焦げず、生きていました。
このように、世と妥協しないで、みことばどおり行うとき、仮に試練と迫害がやって来るとしても、神がすべてのことを働かせて益としてくださり、むしろ祝福されて栄光を帰すことができます。


2. 口によってむち打つ者を呼び寄せた人と祝福された人

聖書を読むと、口によってむち打つ者を呼び寄せた人がいるかと思えば、祝福される人がいます。
イサクの息子エサウは長子の権利を弟のヤコブにレンズ豆の煮物一杯で売りました。彼はたいしたことないと思って口にした言葉でしたが、結果はそのとおりになりました。長子のすべての祝福権が弟のヤコブに移ってしまったのです。
列王記第二6_7章にも似たようなことが記されています。アラム軍がサマリヤを長く包囲して攻撃したので、町の中には食べるものがなくて、子どもを食べるまでになりました。そのとき、エリシャが「あすの今ごろサマリヤの門で、小麦粉と大麦が安値で売れるようになる」と預言しますが、王の侍従が「たとい、【主】が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」と、とんでもないことを言います。するとエリシャは「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」と言います。次の日、侍従は門の管理をしているうち、アラムの陣営をかすめ奪いに行く民に踏みつけられて死んでしまいます。預言者の言葉を否定したので呪われたのです。このように、ひと言に神の働きが伴うこともあり、敵である悪魔・サタンの働きが伴うこともあります。
一方、歴代誌第二20章を読むと、モアブとアモンが連合してユダ王国を攻めて来ると、ヨシャパテ王はユダ全国の民とともに断食しながら神の助けを求めます。すると、預言者を通して【主】が救ってくださると言われます。王は民に「あなたがたの神、【主】を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」と励まします。それだけでなく、賛美する者たちに聖なる飾り物を着けさせて、武装した者の前に出て行って、【主】を賛美するようにしました。この時、神は王の肯定的な告白と信仰の行いをご覧になって、戦わなくても勝利できるように働かれました。


3. 口で告白するとおり答えられるには

<ローマ10:10>に「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあります。それでは、誰でも口で告白すれば、何でもすべて答えられるでしょうか? 心に信じないで、疑いながら「信じます」と言ったからとして、答えられるのではありません。頭で知っていることをただ口で告白するからといって答えられるのではなく、まず心に疑いなく信じなければなりません。
心に信じる人はみことばどおり行って、真理に逆らうものを捨て、闇から光の中に出てきます。キリストの香りを放ち、世の光と塩になるのです。それで、「心に信じて義と認められる」とあるのです。まことに神を恐れて愛する人は、そのみこころに従ってみことばどおり行うので、その人が口で告白するとき、神が答えてくださいます。
ある人が熱心に神の御前に蒔いて施をして、礼拝とさまざまな集まりに参加したとしましょう。ところが、神に祈っても、答えはおろか、かえってつらいことだけがやって来るので、「神様はどこにおられるのか」とつぶやいて不平を言ったならば、なぜそのような姿が現れたのでしょうか?
その人が本当に神を心に信じたら、心が変わらないで最後まで忍耐したでしょう。しかし、心に信じたのではなく、単に口で告白したので、時間が経つと本心が現れたのです。したがって、同じように忠実に仕えて蒔いても、誰は答えられて、誰はそうでないか、その理由を知らなければなりません。
まことに神を信じる人は口の告白どおり答えられます。信じられない人は、口で告白したとしても、それがまことではないので答えられないのであり、時間が経てばその心の悪が現れます。
<ヤコブ3:11>に「泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。」とあります。「信じます」と言っておいて、次に否定する苦い水をわき上がらせるなら、それは信仰ではありません。忍耐して最後まで神を信じれば、神は私たちが告白したとおり必ず答えてくださいます。
ひょっとして、つらくて苦しいとき、試練や患難がやって来たとき、つぶやいて不平をこぼす言葉、神あるいは主のしもべ、信仰の兄弟をさびしくさせる言葉は口にしなかったのか顧みますように。そうして神の子どもらしく甘い水だけをわき上がらせる口になり、肯定的な信仰の告白によって求めるものは何でも答えられて、神に栄光を帰しますように。


* まとめと適用

1. ヨシュアとカレブの信仰の告白を書いてください(参考: 民数記14:7_9)。

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2. モアブとアモンが連合してユダ王国を攻めて来たとき、ヨシャパテ王が民にした信仰の告白を書いてください(第二歴代誌20:20)。

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3. 汚れた霊につかれた娘から悪霊を追い出してくださるようにイエス様に願い続けたとき、小犬扱いされても、へりくだって最後まで信仰の告白をしたスロ・フェニキヤの女の告白を書いてください(マルコ7:28)。

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* 今週の課題

今回は神様に答えられて祝福される口の告白について学びました。それでは、行いとしてはどんな行いが必要でしょうか? 家庭を例に具体的に考えてきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!

「口の甘い水」とは?
霊的に、真理の言葉、人に恵みと力を与える言葉、信仰の告白あるいは神に栄光を帰す証しのことを言う。人の言葉はその心から出るので、甘い水だけをわき上がらせる口になるには、まず良い心にならなければならない。それで、<マタイ12:35>に「良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。」とあるのだ。

 
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