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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第7課「断食と祈りの威力」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-02-28


読むみことば: ヨナ3:1_10
覚えるみことば: エレミヤ33:3
参考にするみことば:イザヤ58:3_9
教育目標:神が喜んでお受けになる断食と祈りをささげて、求めるものは何でも答えられる聖徒になるようにする。

全知全能の神は愛する子どもが求めるものは何でも答えてあげたいと思っておられます。いくら不可能なことでも、私たちが父なる神が受け入れてくださるように、みこころどおり行って求めるとき、すみやかに答えてくださいます。その答えの秘訣がまさに神に喜ばれる断食と祈りです。



1.断食と祈りで答えられたニネベの人々

強大国アッシリヤ帝国の首都ニネベは、彼らの悪が神の御前に届くほど大きかったです。そこで神はヨナにニネベに行って、神のみこころを叫べと命じられました。ヨナはB.C.785年前後に、北イスラエルで活動した預言者です。ところが、ヨナは北イスラエルを苦しめている敵国アッシリヤが滅びることを望んだので、神の命令に聞き従わないで、ニネベと反対側のタルシシュへ船に乗って行きます。
そこで神は大風を海に吹きつけられて、ヨナが乗っていた船は難破しそうになりました。船に乗っていた人々はこの災いがだれのせいなのか知るためにくじを引きましたが、ヨナに当たって、ヨナは海に投げ込まれます。すると驚くべきことに海が静かになりました。
神は大きな魚を備えて、ヨナを飲み込ませられました。ヨナは大きな魚の腹の中で、三日三晩、何も食べられないで、たましいを砕いて罪を告白しながら、神を呼び求めて祈りました。それで、神は大きな魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させます。
結局、ヨナはニネベに行って、神のことばのとおり「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と叫びました。すると異邦民族であるニネベの人々は断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで神に対して悔い改めました。
このことを聞いた王も王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわりました。そして、次のような布告がニネベに出されました。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。」(ヨナ3:7_8)
このように断食してまことを見せて、悪い行いから離れて、切に主を呼び求めて祈ると、神が彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかったのです。それほど断食と祈りの威力が大きいということです。
私たちも神に大きい答えをいただくためには、ニネベの人々が王とともに悔い改めたように、神の御前に悔い改めて、自分を打ちたたいて従わせ、断食しながら主を呼び求めて祈らなければなりません。



2.神の好まれる断食

断食は一食から、一日、二日、三日間することもあり、五日、七日、またはそれ以上することもあります。断食が苦手な人は一食、あるいは一日、二日など、できる範囲から始めればよいでしょう。長期断食は、まず多くの祈りを積んでから、聖霊に満たされているうちに正確に心に働きかけられてしなければなりません。
[イザヤ58:6_7]に「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。」とあります。
[イザヤ58:4_5]には「見よ。あなたがたが断食をするのは、争いとけんかをするためであり、不法にこぶしを打ちつけるためだ。あなたがたは今、断食をしているが、あなたがたの声はいと高き所に届かない。わたしの好む断食、人が身を戒める日は、このようなものだろうか。葦のように頭を垂れ、荒布と灰を敷き広げることだけだろうか。これを、あなたがたは断食と呼び、【主】に喜ばれる日と呼ぶのか。」とあります。
神の好まれる断食はただ食べないのではなく、心を引き裂いて切に祈ることです。ある人は断食しながら、元気がないからといって寝てばかりいますが、神が望んでおられるのは主を呼び求めて祈ることです。断食中でも、神の恵みを受けて強くされれば、主を呼び求めて祈ることができます。
また、断食する時は、自分の好むことを禁じて、愛をもって祈らなければなりません(イザヤ58:3)。このような断食をするとき、神は「そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、【主】の栄光が、あなたのしんがりとなられる。そのとき、あなたが呼ぶと、【主】は答え、あなたが叫ぶと、『わたしはここにいる』と仰せられる。」(イザヤ58:8_9)と約束されました。



3. 神の望んでおられる祈り

断食だけでなく、祈りもみこころにかなってこそ、答えられることができます。聖書には、祈りを通して神の力を引き下ろして答えられた例が多くあります。神の望んでおられる祈りとはどんなものでしょうか?
第一に、いつものように祈ることです。
[第一テサロニケ5:17]には「絶えず祈りなさい。」とあります。イエス様もいつものように祈られたし(ルカ22:39)、ペテロとヨハネも時間を決めておいて祈りました(使徒3:1)。掃除も毎日すれば簡単に終わらせることができますが、長い間放っておけば、ほこりがたまり、あかじみて、長い時間かかります。同じように祈りも、普段から祈っていれば、試練や患難がやって来ないし、仮にやって来たとしても軽くすんで、すべてのことを働かせて益としてくださるようになるのです。試練や患難にあってから祈る人は、神との罪の隔ての壁を壊すのに長い時間がかかります。
第二に、ひざまずいて祈ることです。ひざまずけば心が正しくなり、相手を恐れかしこむ心の表現になります。私たちが大統領の前でも身を慎むのに、まして創造主の神の御前で祈るとき、ひざまずいて祈ることは当たり前のことです。神の御子であるイエス様もひざまずいて祈られたし(ルカ22:41)、ステパノ執事は石に投げつけられて死んでいきながらも、ひざまずいて祈りました(使徒7:60)。
第三に、主を呼び求めて祈ることです(エレミヤ29:12_13、33:3)。使徒の働き4章を見れば、教会史上大いなる神の力が現れて、リバイバルがあった初代教会は、大変な迫害の中でも主を呼び求めて祈ったので、聖霊に満たされて、多くの不思議としるしが伴いました。イスラエルの民が荒野で飲む水がなかった時も、モーセが【主】に叫んで祈ったら、苦い水が甘い水に変わるみわざが起きました(出エジプト15:22_25)。



4.神に答えをいただいた人々の行い

エリヤはイスラエルに三年六か月の間、雨が降らなくて、厳しい日照りがあったとき、カルメル山に登って祈り、雨を降らせるという答えをいただきました。どんなに切に主を呼び求めて祈ったのか、はらわたがちぎれるような苦しみで腹が引っ張られて、顔がひざの間にうずめられるほどでした。
ダニエルはバビロンに捕虜として捕らえられて来てから七十年近くになって、老いた身でありながらごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、荒布を着、灰をかぶって、イスラエルの罪を代わりに悔い改めて願い求めました。
このようなダニエルの祈りが答えられました。神の答えを持ってきた御使いのかしらガブリエルはダニエルに悟りを授けて、大きくて驚くべき啓示を与えました。やがて来られるメシヤについてのことと、世の終わりの日に起きることを述べたのです。
イエス様も父を呼び求めて祈られました。イエス様が捕えられられた日の夜、ゲツセマネで祈られるとき、「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。(ルカ22:44)」とあるように、心と知性とまことを尽くして祈られました。
私たちが祈りに答えられるために必ず覚えなければならないことは、自分の欲望によって祈ってはいけないということです。おのおの自分の信仰と務めと地位に合わせて必要なものを求めるべきですが、欲望によって求めるなら、答えが与えられないからです(ヤコブ4:2_3)。
また、信じて求めたことは答えられたと信じなければなりません。[マルコ11:24]に「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。」とあります。ただし、少しも疑わずに、信じて願わなければなりません(ヤコブ1:6_7)。したがって、神の好まれる断食と天の御座を響かせる祈りをささげて、求めるものは何でも答えられますように。



●まとめと適用

1.神の好まれる断食とはどんなものなのか、[イザヤ58:6_7]を書いてください。

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2.神の望んでおられる祈りとはどんなものか、書いてください。
第一、
_________________________________________________________________________
第二、
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第三、
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3.断食も神様に香として立ち上るものです。皆さんは断食するとき、どれほど主を呼び求めて祈っているでしょうか? ひょっとして元気がないからと横になっていたり、寝ていたりしていないでしょうか?



●今週の課題

信仰生活で「蒔いて刈り取る法則」とは何か知っていますか? 何を蒔いて、何を刈り取るのか、次回までに考えてきましょう。



●「用語」を知って力にしましょう!

「断食と保護食」
断食祈祷とは、ある目的を持って、どんな食べ物も食べないで、水だけを飲みながら、自分の命をかけて神に切に求めることである。保護食とは、断食が終わった後、落ちた気力を補充し、弱くなったからだが正常に回復するように食べる物のことを言い、断食した日数と同じだけ保護食をするとき、完全な断食になる。保護食をしている間は、無理をしたりきつい仕事は避けなければならない。食事は重湯やおかゆにし、おかずはおもに菜食をするが、味はつけない。肉類や脂っこい食べ物、辛かったり塩辛かったり、甘い刺激的な食べ物、化学調味料と香辛料は避けたほうがよい。保護食を正しくすれば、むくまないし、肌も白くなり、体重もすみやかに回復する。

 
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