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メッセージ >
聖書の学び
Title
第22課 「赦す心」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2009-05-29
読むみことば: エゼキエル18:21-24
覚えるみことば: マタイ5:23-24
参考にするみことば: 詩篇103:12-14
教育目標
神に答えと祝福を受けるためには、誰にも敵意をいだかないで、赦す心にならなければならないことを悟る。
エゼキエルは南ユダ王国がバビロン帝国に滅ぼされる前、エホヤキン王とともに捕虜になって、バビロンに引かれて行きました。そこで預言者の使命を受けて、エゼキエル書を記しました。彼の働きはエレミヤの働きに似ています。偶像を拝んだ罪の報いとして、エルサレムが滅ぼされることを預言しましたが、そのとおりになりました。神のさばきの後、エゼキエルはユダヤ民族が未来の祝福と完全な回復についての神の約束を確かに信じるようにして、彼らを慰めます。
エレミヤとともに四大預言者のひとりであるエゼキエルは、ビジョンの人でした。現在のさばきの後には未来の栄光があることを知らせて、新たな可能性を示したのです。<エゼキエル18:21-24>に記されている神のことばは、罪人が本当に悔い改めて戻ってくることを神は喜ばれ、すべての罪を赦してくださることを悟らせています。
1. イスラエルを愛して赦された神
旧約聖書には、神がカナンの地の人々を情け容赦なく殺すようになさった場面があります。それで、霊的な意味を知らない人や、神の愛と正義を知らない人は「神様はとても残忍な方だ」と言います。しかし、人とは比べられないほど慈しみ深い神がどうして悪人を滅ぼすことを楽しまれるでしょうか。
<創世記18-19章>に記されているソドムとゴモラは罪と悪が極めて重い町でした。これ以上赦すことができないほどになりましたが、それでも神は滅ぼされませんでした。何か彼らを生かすことができる、ほんの小さな根拠でもないだろうかと、直接御使いを遣わして調べるようになさいました。そして、神はアブラハムにこのことをあらかじめ告げられました。
神の心に似せられたアブラハムは神に「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。」と懇願します。すると神は「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」と言われます。アブラハムはそこであきらめないで、懇願し続けました。しかし、残念なことに、ソドムの町の中に正しい者はたった十人もいませんでした。かえって、彼らを調べに来た御使いたちにも害を及ぼそうとしました。このように男色までするほど極度に堕落したので、神が愛をもって耐え忍び、赦し続けられるとしても、どうしようもない限界に至ったのです。
神はソドムとゴモラを滅ぼそうと決められました。しかし、義人アブラハムがおいのロトのことを心配することをご存じだったので、ロトと彼の家族を救うために、御使いによってその町を出て行くようにと知らせてくださいます。しかし、ロトの婿たちはソドムの町に残って死に、妻はソドムの町が好きで、御使いの言葉を聞かないで後ろを振り返ったので、塩の柱になってしまいました。
神がイスラエルの民を用いてカナンの住民を聖絶されたのも、同じことです。神はカナンの住民も、長い間愛して赦してこられました。どれほど耐えられたのか、聖書には四十年もの間、耐えられたことが記されています。神がこのように耐えに耐えられたにもかかわらず、カナンの人々が立ち返らずに、ますます罪と悪が満ち、ついにこれ以上悔い改める可能性がなくなると、彼らを滅ぼされたのです。彼らを残しておけば、むしろイスラエル人まで悪い影響を受けるからです。その中でも、神はラハブのように神を信じて恐れ、神の選んだ民に善を行なった人は救ってくださいました。
2. 異国の民も愛して赦される神
<ヨナ書>に記されているニネベはイスラエルを苦しめた敵国アッシリヤの首都でした。このニネベの悪が神の御前に届いたほど大きくなりました。それでも愛なる神は彼らをすぐ滅ぼさないで、悔い改める機会を与えようと、預言者ヨナにニネベに行くよう命じられました。
しかし、ヨナは敵国の首都であるニネベが滅ぼされることを願ったので、ニネベに行けという神の命令に従わないで、タルシシュへ逃げました。神のしもべが神のことばに聞き従わないなど、ありえないことです、しかし、愛なる神はそれでもヨナが神の選びの民を大切に思う心でそうしたことを理解されて、ヨナにもう一度機会を与えられます。結局、ヨナはニネベに行って「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」と叫びます。
するとニネベの人々はどうしたでしょうか? 彼らは「神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで」神の御前で悔い改めました。 王も、灰の中にすわって悔い改め、家畜までも断食しながら悔い改めて、ひたすら神にお願いするよう命じました。「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」とは、ニネベの人々の罪と悪がひどく満ちていて、赦されないほど深刻だったということを意味します。それでも神は、彼らが口先だけで悔い改めないで、行ないで完全に立ち返ると、罪を覚えないで赦してくださいました。
3. 赦す心と幸せな人生
聖書には、神の御前に出てきて、自分の罪を告白して神の恵みを求め、赦されて再び愛される出来事がいくつかあります。ダビデ王は大きい罪を犯しましたが、悟って直ちに悔い改めると、神は赦してくださり、死んだ子の代わりにソロモンが生まれるようにしてくださいました。ヒゼキヤ王も、死ぬ病気にかかって神の御前にたましいを砕いて罪を告白したら、その命を十五年も延ばしていただきました。その息子マナセは偶像を拝んで、主の目の前に悪を行なったので、青銅の足かせにつながれて捕虜になりました。しかし、神の御前に大いにへりくだって悔い改めたら、神がその切なる求めを聞いて、彼が再びエルサレムに戻れるようにしてくださいました。
それで、<詩篇103:12-14>に「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。」とあるのです。
人は、他の人が悔い改めても、その人の過去のそむきの罪をいつまでも覚えていて、口にしがちです。しかし、神は過去のすべての罪を東が西から遠く離れているように覚えてさえおられないのですから、どれほど美しい赦しの心でしょうか。
<ルカ15章>には、いなくなった羊を捜し歩く羊飼いのたとえが出てきます。羊を百匹を持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩きます。そして、いなくなった羊を見つけたら、どんなに喜んだでしょうか。羊をかついで帰ってきて、友だちや近所の人たちを呼び集め、一緒に喜んだというのです。
神の心も、いなくなった一匹の羊を見つけて喜ぶ羊飼いの心のようです。それで、<ルカ15:7>に「ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが 天にあるのです。」とあるのです。
世に生きていると、誰でも自分の思いに合わないこと、悔しいことにあったり、願わないことに遭ったりもします。また、それによって敵意をいだいたり、平和を破ったり、嫌いになったり、憎んでねたむようになったりなどのことが起こります。
しかし、神は私たちが赦す心になるよう願われます。主が教えてくださった祈りにも「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」とあるように(マタイ6:12)、人を赦す心が持てなければ、私たちも神に赦されないからです。
それで、<マタイ5:23-24>にも「祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」とあるのです。赦せなかった自分の心をまず割礼して、兄弟を嫌う心を悔い改めて、立ち返った後に供え物をささげてこそ、神が喜んで受けられ、それに対する祝福を下さるということです。このように、相手を赦す心になってこそ幸せな人生になり、神の祝福が受けられるのです。
* まとめと適用
1. <マタイ23:23-24>を一緒に覚えてみましょう。
2. 信仰の兄弟姉妹のそむきの罪を見たとき、「今度ばかりは赦せない」と言ったことはなかったでしょうか? そんな時、イエス様はどうされたでしょうか?
3. ひょっとして、うわべでは赦すと言ったけれど、心から赦せなくて、相変わらず相手のそむきの罪を覚えてはいないでしょうか? 自分を顧みてみましょう。
* 今週の課題
神は私たちの心をすべてご存じだということを伝えている聖書の箇所はどこにあるでしょうか? 探してみましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう!
「義人」とは?
正しい人のことを言う。まず私たちがイエス・キリストを受け入れて、主イエスの血によって罪が赦されたら、義と認められる。ここからさらに心の中にある悪、すなわち、真理に逆らうものを捨てて、みことばに聞き従って真理のとおり行なっていけば、まことの義人になる。神はこのような人を喜ばれて、祈ることはみな答えてくださる。
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