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聖書の学び
Title
第24課 「すべてにおいて平和をつくりなさい」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2009-06-12
読むみことば: 箴言16:7
覚えるみことば: ヘブル12:14
参考にするみことば: マタイ5:9、箴言8:17
教育目標
平和の大切さを悟って、平和の祝福が受けられる具体的な方法を知る。
私たちの周りには、いろいろな性格の人がいます。性格が円満でなければ、あちこちで人とぶつかって苦しみます。しかし、性格が円満な人は人とよく交わって、平和のうちに生きていけます。このような人とは対していても心が安らかなので、平和がつくりやすいです。このように平和をつくれば、私たちの人生はさらに活気に満ちて幸せになります。
1. 平和の大切さ
<ヘブル12:14>に「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」とあります。<マタイ5:9>にも「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」とあります。すなわち、すべての人との平和をつくる人が神の子どもと呼ばれて、主を見ることができるのです。平和がどれほど大切であり、神が尊く思われるかがわかるみことばです。
信仰によって行なえば、すべての人と平和がつくれます。互いに低くなって、赦して耐える心に変わるので、自然に平和になり、互いに愛して理解するようになります。それでは、不和や争いなど、平和がつくれないのは何のために起きるのでしょうか?
イエス様の教えだけがまことであり、真理なのですが、ほとんどの人は生まれてから両親や先生、本などを通して学んで成長しました。ですから、自分の思いや理論がすべて真理でないのに、互いに自分が正しいと思うので、平和がつくれないのです。したがって、真理の人に変えられるとき、平和をつくることができるし、仕えて愛することができるのです。
2. 平和がつくれない人の苦労と苦しみ
平和がつくれない例は聖書の中にたくさん見つけることができます。アブラハムの家庭は和やかでしたが、妻のサラがみごもれないことがきずでした。サラは子どもが欲しくて、夫に自分の女奴隷ハガルのところにおはいりくださいと頼みます。もし神に全面的にゆだねたら、神は何の問題もなく幸せな生活が送れるように導いてくださったでしょう。しかし、サラは神を信じていると言いながらも、人間の思いを働かせたのです。
アブラハムがハガルのところにはいってみごもると、ハガルはサラを見下げるようになります。すると、サラはかえってアブラハムを恨みます。そして、アブラハムに許しを得てハガルをいじめたので、ついにハガルはサラのもとから逃げ去ります。しかし、結局帰ってきて、イシュマエルを産みます。
神はそれから十四年過ぎた後、九十歳になったサラがイサクを産むように働かれました。ある日、サラはイシュマエルがイサクをからかっているのを見て、耐えられずにアブラハムにハガルとイシュマエルを追い出してほしいと言い張ります。アブラハムは非常に悩みましたが、神のおことばを聞いて、ハガルとイシュマエルを送り出します。
「あなたの敵をも愛しなさい」とあるとおり、互いに愛し合ったなら、同じ家で仲良く住めたのに、結局は敵対して追い出したのです。これはどれほど平和でない姿でしょうか。 このように悪を行なったので、この悲劇が今日まで続いて、その子孫が敵同士になって戦っているのです。つまりイスラエルとアラブのことです。信仰のある人がすべてを神に頼らないで、人間的な方法で解決しようとしたので、結局、苦しみが伴ったのです。
それでは、ヤコブはどうだったでしょうか? 初めは姉妹のレアとラケルのふたりだけが妻でした。妹のラケルは子を産めませんでしたが、姉のレアは四人の子を産みました。するとラケルは姉のレアを嫉妬し、自分のはしためのビルハをヤコブに妻として与えて、自分の代わりに子を産むようにしました。これを見た姉のレアも、自分のはしためのジルパを夫に妻として与えます。
このように四人の妻を持ったので、これによってどれほど多くの不幸がもたらされたでしょうか。妻たちが互いにそねんでねたみ、争い、彼女たちから産まれた息子たちにまでその影響が及びました。
兄弟のうち父に最も愛されていたヨセフが、兄たちのたくらみによって通りかかった商人に奴隷として売られてしまいました。ヤコブはヨセフが悪い獣にかみ裂かれたと思って、幾日もの間、泣き悲しみました。このように、みことばどおり行なわなければ、すべてにおいて平和がなく、互いに不幸になるのです。
3. 神に喜ばれて平和をつくった人々
<箴言16:7>に「主は、人の行ないを喜ぶとき、その人の敵をも、その人と和らがせる。」とあります。誰かと和らがなくて苦しんだら、主が喜ばれる行ないをしなさいということです。そうすれば、神がその人の敵をも、その人と和らがせ、すべての問題を解決してくださるというみことばです。
聖書で神に喜ばれた人としては、ソロモンが挙げられます。彼は霊とまことによって神の御前に一千頭の全焼のいけにえをささげ、神に喜ばれて、神との平和をつくりました。どれほど喜ばれたのか、神からあとにも先にもないような知恵を与えられただけでなく、富と誉れまで受けました(第一列王3:4-15)。
したがって、何よりまず神と平和をつくらなければなりません。そうしてこそ神との間にある罪の隔ての壁が壊され、罪が赦されて、救いと永遠のいのちが得られます。また、それだけでなく、祈りと願いに答えられ、心の望みまでもかなえられるのです。
その次には、エステルが挙げられます。ユダヤ人としてペルシヤ帝国の王妃になったエステルは、ハマンの奸計によって自分の民族が根絶やしにされる危機に直面したという知らせをいとこのモルデカイから聞きました。その時、王と自分の民であるユダヤ人の間に平和をつくるために、エステルはまず神に喜ばれることをしました。首都シュシャンの町に住んでいるすべてのユダヤ人とともに、三日三晩、食べたり飲んだりしないで、断食しながら神に求めました。そして、死を覚悟して王の前に進んで訴えました。神はエステルを喜ばれて、心の望みどおり、民族が救われるようにご自身で導かれました。
それでは、ルツはどうでしょうか? モアブ人の女であるルツはイスラエル人の家に嫁に来ましたが、不幸にもしゅうとと夫が死んでしまいました。彼女は自分の生きる道を探して行くこともできましたが、心を定めて、たったひとり残された姑に仕えながら、嫁として果たすべきことをすべてしました。このように神に喜ばれると、姑に助けられてボアズの妻になり、息子オベデを産んでダビデの系図に載るという大きい祝福を受けます。
4. 平和の祝福を受けようとするなら
それでは、私たちが平和の祝福を受けるために、神に喜ばれようとするなら、どうしなければならないでしょうか?
まずは、ソロモンのように神のみことばを聞くことを慕い、喜んで礼拝をささげなければなりません。<箴言8:17>に「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」とあります。神を愛してみことばを聞くことを喜び、熱心に礼拝に参加して、祈って賛美する人になってこそ、神に祝福されることができます。
また、神の戒めをよく守り、心のきよい義人にならなければなりません。神が喜ばれることにはいろいろありますが、最も喜ばれることは、罪を捨てて聖められ、まことの義人になることです。次に、信仰をもって熱心に伝道し、善を行ない、熱心に徳を施さなければなりません。そうすれば、神は行ないのある信仰を喜ばれ、祝福として報いてくださいます。
施しと善行をよくして祝福された人としては、コルネリオやタビタが挙げられます。コルネリオは異邦人であっても、家族みなが聖霊を受けました(使徒10章)。タビタは、死んでもまた生かされる祝福を受けました(使徒9章)。
したがって、私たちは神に喜ばれて、すべてにおいて平和をつくる人にならなければなりません。第一に神と平和をつくり、第二に神のしもべたちと平和をつくり、第三には信仰の兄弟たちと平和をつくらなければなりません。その次には親と子どもの間、夫婦の間に平和をつくり、兄弟の間、隣人との間、友だちとの間、職場の同僚と上司との間に、すべての人との間に平和をつくらなければなりません。そうしてこそキリストの香りを放って、世の光と塩になるのです。
* まとめと適用
1. <ヘブル12:14>をみんなで覚えてみましょう。
2. 不和や争いなど、平和をつくれないのは、何のために起きるのでしょうか?
3. 平和の祝福を受けるには、どうしなければならないでしょうか?
4. すべてにおいて平和をつくるとはどんなことか、身近な例を挙げてみましょう。
* 今週の課題
断食と祈りの威力を教えている聖書の箇所はどこにあるでしょうか? 探してみましょう。
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