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| HIT 16895 | DATE 2011-02-27
 
[特集3]七つの教会の教訓



使徒ヨハネによって記された、七つの教会へのみことばは手紙形式になっています。
その内容は現代の教会と聖徒にとっても大いに教訓となり、神がほめられる理想的な教会のモデルを発見するのに役立ちます。
当時、小アジアにあったエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤにある教会は、福音が宣べ伝えられたすべての教会を代表しているからです。


-イエス・キリスト連合聖潔教団・総会長
- (社)キリスト教世界リバイバル宣教協議会・常任総裁
- (社)国会を愛する国のための祈祷会総連合会・共同総裁
-世界キリスト教放送ネットワーク(GCN)理事長
-世界クリスチャン医師ネットワーク(WCDN)理事長
-マンミン国際神学校(MIS)理事長
-連合聖潔神学校・理事長
-牧会学博士、名誉神学博士
-万民中央教会・堂会長
-キリスト教放送、極東放送などで放送説教
-朝鮮日報、中央日報、東亜日報、韓国日報、ソウル新聞、ハンギョレ新聞、京郷新聞、文化日報、韓国経済新聞、コリアヘラルド、時事ニュース、クリスチャン新聞などに信仰コラムを定期的に掲載
- アメリカ(ニューヨーク、ワシントン、ボルティモア、メリーランド、ロサンジェルス、ハワイ)、日本(名古屋、飯田、信州)、インド、パキスタン、フィリピン、アルゼンチン、ホンジュラス、ロシア、ドイツ、ペルー、ウガンダ、コンゴ、イスラエル、エストニアなどで連合大聖会を導く

イエス・キリストが天に上げられた後、弟子と聖徒たちはエルサレムを離れないで祈りに務めていました。すると彼らに炎のような聖霊が臨み、その時から使徒ペテロを中心に、エルサレムに教会が形成されました。アンテオケにも教会が建てられて、使徒パウロを中心に異邦人宣教が活発になりました。これはイエス様が「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)と言われたとおりになったのです。
しかし、教会が成長するにつれて、使徒の働き2章にある初代教会の姿は変わり始めました。今日、神を信じていると言いながらも、初めの愛を失って信仰が停滞していたり、なまぬるい信仰を持っている人がどれほど多いでしょうか。神を完全に信じられなくて、イエス・キリストを認めないし、聖霊のみわざを否定する人も多いです。日が経つにつれて、いっしょに集まることをやめたり、世と妥協する教会が増えているのが現実です。このような教会に向けて下さったみことばが、まさにヨハネの黙示録2-3章にある「七つの教会」です。


1.七つの教会の霊的な意味

七つの教会へのみことばはイエス様の十二弟子の一人、使徒ヨハネによって記されました。彼は福音を伝えているうち沸騰した油の釜に投げ込まれましたが、神の摂理にあって死なないで、黙示を受けるようになったのです。
「そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。」(黙示録1:19-20)
聖書にある「七」という数字は完全を意味するので、「七つの教会」とはすべての教会の総称です。単に初代教会以後、小アジアに建てられたエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤにある教会に限られているのではなく、聖霊時代に建てられたすべての教会のことです。
したがって、七つの教会へのみことばは、神を信じる聖徒一人一人の信仰を顧みて、教会を正しく建て上げるための道案内と言えます。それだけでなく、すべての教会にとって目標のようなみことばであり、新・旧約にある神のみことばを総合して教訓を与えるメッセージでもあります。また、主が喜ばれる教会を建て上げるための核心的な指標と言えるほど、とても重要な内容が込められています。


2.七つの教会の特徴

1)初めの愛から離れてしまったと非難された「エペソにある教会」(黙示録2:1-7)
神はエペソにある教会の聖徒がみことばを守り行うために労苦と忍耐し、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたこと、そしてよく忍耐して、主の名のために耐え忍び、疲れたことがなかったことをほめられました(黙示録2:2-3)。
しかし、時間が流れるにつれて初めの愛から離れてしまい、真理から外れて世と妥協する信仰になったので非難されました。それで、「どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。」と言われました。今日、開拓初期は熱く祈りながら燃えるような心で始めても、リバイバルして高ぶり、その心と愛が冷めてしまった教会を表しています。
「エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。「…しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』」



エペソ教会の遺跡

2)信仰の訓練を受けて勝利する「スミルナにある教会」(黙示録2:8-11)
ポリュカルポスの殉教をはじめ、多くの苦しみを受けなければならなかったスミルナにある教会は、七つの教会の中で唯一、おほめでも非難でもない、忠告のおことばを聞きました。しかし、多くの苦しみがあっても、死に至るまで忠実であるなら、いのちの冠を与えようと約束されました。今日、主の御名によって信仰の訓練を受けて、勝利していく教会を象徴しています。
「また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。「…あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」』」



スミルナ教会の遺跡

3)適当主義信仰に従って異端思想に染まった「ペルガモにある教会」(黙示録2:12-17)
迫害と苦しみの中でも信仰を捨てなかったことはほめられたペルガモにある教会は、バラムの教えとニコライ派の教えを奉じている人々がいて、厳しく非難されました。このような内部の腐敗は外部からの迫害よりもっと危険なので、自分の益を求めて妥協したバラムや、肉体ではいくら罪を犯しても、霊はきよいので救われると惑わしたニコライ派の教えに気をつけなさいという内容です。今日、世と妥協する適当主義信仰と異端思想に染まってしまった教会を象徴しています。
「また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。「…しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』



ペルガモ教会の遺跡

4)偶像の神にささげた物を食べて世と妥協する「テアテラにある教会」(黙示録2:18-29)
テアテラにある教会は、愛と信仰と奉仕と忍耐があり、また、近ごろの行いが初めの行いにまさっていることをほめられました。しかし、預言者だと自称しているイゼベルという女をなすがままにさせていて、聖徒たちを誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせたので非難されました。今日、形式主義信仰に偏り、世と妥協して神のみことばに立ち向かう教会を象徴しています。
「また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。『燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる。「…あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。しかし、テアテラにいる人たちの中で、この教えを受け入れておらず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていないあなたがたに言う。わたしはあなたがたに、ほかの重荷を負わせない。ただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい。 勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。 彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。また、彼に明けの明星を与えよう。 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」



テアテラ教会の遺跡

5)生きているとされているが、実は死んでいる小さい教会、「サルデスにある教会」(黙示録3:1-6)
サルデスにある教会は神と主を信じていると言っているが、実は信仰の行いがなく、死んだ信仰を持っていたので非難されました。しかし、信者の中には、その衣を汚さなかった者が幾人かいました。今日、死んだ信仰を行いのあるまことの信仰に変えなければならない数多くの教会と、その中でみことばを守り行おうと努めて祈っている聖徒を象徴しています。
「また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「…しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」



サルデス教会の遺跡

6)ただ信仰によって行い、おほめの言葉だけをいただいた「フィラデルフィヤにある教会」(黙示録3:7-13)
七つの教会の中で、唯一おほめの言葉だけをいただいたフィラデルフィヤにある教会は、少しばかりの力があっても、信仰を守って行ったのでほめられました。「少しばかりの力」とは、私たちが初めて神を信じて、からし種ほどの信仰を持っていた時のことです。このように少しばかりの信仰があっても、みことばを守り行っていたので、すべての祝福の扉をあけるダビデの鍵と神に愛されている証拠をいただきました。それだけでなく、天国で神の御座がある新しいエルサレムの柱としようという祝福の約束を与えられもしました。今日、フィラデルフィヤ教会のような教会になることを慕って、少しばかりの力があってもみことばを守り行っていき、不思議としるしなど神の力あるわざが伴う教会を象徴しています。
「また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。「…わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」



フィラデルフィヤ教会の遺跡

7)冷たくもなく、熱くもない大教会、「ラオデキヤにある教会」(黙示録3:14-22)
経済的に豊かになった、乏しいものは何もないと言っているが、霊的にはみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者である教会のことです。主は、その行いが冷たくもなく、熱くもないことを非難し、熱心になって、悔い改めなさいと言われました。今日、「豊かになった、乏しいものは何もない」と、熱心になろうともせず、これ以上変えられようと努力もしない教会を象徴しています。



ラオデキヤ教会の遺跡

「また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」

愛する聖徒の皆さん、
今まで調べた七つの教会のような教会はもちろん、そのような聖徒もたくさんいます。七つの教会へのみことばをもう一度かみしめて、信仰を顧みる知恵が必要な時です。フィラデルフィヤ教会のように、少しばかりの力があっても、神のみことばを守ってほめられる教会と聖徒になりますよう、主の御名によって祝福して祈ります。


Click Bible

* ニコライ派の教え

ニコライ派とは、初代教会の七人の執事の一人だったニコライが、自分の意見に同調した人々を集めて作った派のことである。彼は「肉体ではいくら罪を犯しても、霊はきよいので天国に行ける」と主張した。今日、真理を巧みに変えてしまい、聖徒を惑わして罪を犯させるすべてがニコライ派の教えと言える。

* サタンの会衆

自分では神に属する人だと思ってはいても、自分の思いと益に合わなければ、神の働きを妨げる者たちを意味する。教会の中で二人以上が集まって、不平不満を言って、人をさばいて罪に定め、言い争いを起こしたりするなどの問題を起こして分裂し、党派心を作っていくのである。このようなサタンの会衆ができれば、愛が冷めてしまい、神のみわざが途絶える。

* バラムの行い

バラムは、神のみこころを知っていながら、バラク王の富に惑わされて、イスラエルの民が【主】の御前に罪を犯すように導いた人物である(民数記31:16、第二ペテロ2:15)。バラムの行いとは、神を愛して仕えていると言いながら、二心を持って物質を愛して、名誉や権勢を得るために不義と妥協していくことを意味する。

* 適当主義信仰

バラムのように、世と適当に妥協しながら信仰生活をしようとする傾向を意味する。金銭を愛して世と友になり(第一テモテ6:10)、物質の欲のために主日を守らなかったり、十分の一献金と奉納物を盗むことを言う(マラキ3:8)。また、主のしもべとしてもっぱら祈りとみことばの奉仕に励まなければならないのに、 物質と名誉をむさぼって世の権力と友になる場合がその例である。

* 異端思想

異端は、自分たちを買い取ってくださった主、すなわち、イエス・キリストを否定する(第二ペテロ2:1、第二ヨハネ1:7)。これはキリスト教と似ているように見えるが、全然違う。彼らも神を信じていると言い、教会と似たような形を持っていて、まかり間違えば惑わされることもある。しかし、いくら似ているように見えても、決して救いとはかかわりのない、間違った教理を持っている。異端思想は私たちの福音とは違うものであり、これを宣べ伝える者や受け入れる者は、必ず滅びの道に向かうようになる(ガラテヤ1:8)。




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